優しい味



自分の腕時計の針が、深夜を示す時間へと到達するのをため息交じりで確認すると、僕は玄関のドアを開けた。

予期せぬ残業がこんなに帰宅を遅らせるなんて正直予想外だ。

もう絶対何があっても今度こんなことがあったら定時に帰ってやると心に決めると少しだけイライラした気分が落ち着く。

「ただいま〜」


眠っているあの子達を起こさぬよう、けれど待っていてくれるかもしれない彼には届くようなトーンで、

帰宅を告げても彼は玄関まで出てこない。


(ああ、やっぱり)

ほんの少し落胆して、僕は自室へと進んだ。

元々、帰りが遅くなるとは連絡を入れていて、「そっか。分かった」と彼は苦笑いだったけど。

笑い飛ばせないあまりの遅さに待ちくたびれて、帰ってしまったのだろうか。


(いや、違うな)


多分、彼が今ここにいない理由はそんなものじゃない。

何か理由があるわけじゃない否定。だけど、それは確信に似た予想。

背広を脱いで、部屋着に着替えると僕は、軽いものを作るべくキッチンへと向かった。


「アイツ…」


彼の残したものを見て。

僕はさきほど考えていたことが外れていないことを実感し、顔を綻ばせる。

テーブルの中央に鎮座していたのは。

海苔の巻かれていないおにぎりが3つと、形の整った卵焼き。

そして味噌汁がカップに一杯分。


『仕事お疲れさん。今日は帰るけど埋め合わせはこの次にヨロシク()


なんて、味のある文字で書かれたメモ。

普段、自炊なんてめんどくさいと言って憚らない彼が僕の為に準備してくれた食事は何よりも嬉しい御馳走だ。

多分、今日は家に帰るなりベッドに沈没してしまうだろう僕を気遣って帰ったに違いない彼の優しさ。

そんな不器用な優しさが滲むおにぎりを一口食べると、ほろりと米粒が柔らかくほぐれていく。

「僕よりも、握るの上手いかも…」

賢木の意外な才能にちょっとびっくりしながらも、頬張る僕の耳に、

「あんま根詰めるなよ」という彼の心配げな声が届いた気がして。

「ありがとう」

ここにはいない彼へ、感謝を込めて礼を言う。

こんな粋なことをする彼に、返せるお礼と言ったらやっぱりアレしかないかな。

賢木の驚く顔を目に浮かべつつ、僕は彼の想いが詰まったおにぎりを頬張ったのだった。




終わり