Between the Sheets






それはまだ二人がコメリカにいた頃の話。

「え、まだこっちに来てからいっぺんも飲み歩いたことないのか」

「?うん、元々飲みたいって思ったことも無かったし、飲まなくても」

不自由なんてないし、と続けようとした言葉が止まる。

人の悪そうな笑みを浮かべた年上の親友が、面白そうに眼を煌めかせた所為だ。



「なに、賢木。なんか顔が怖いんだけど」

「なんつー失敬な。よしよしお兄さんが連れて行ってやろう!」

「そんなことなんて、頼んでませんから!」



どんなに拒否しても、賢木の勢いにはまるきり僕の拒絶も暖簾に腕押し。

この強引さに勝てる者がいたら、そんな人物見てみたい。

さくさくプランを立てている彼に、僕はそっと溜息をつきつつ、

心中で「余計なこと言わなきゃ良かったな」と失言を後悔する。

けれど、行動的な賢木に流されるまま乗せられて。

僕は彼の一押しの店に強引に連れて行かれたのだった。

 

人の顔もうすぼんやりとしか見えない薄暗い店内には、人の影があちこちに見える。

現在、既に夜もたけなわといった時間、店内の三分の二は、歓談を楽しむ人々で席が埋まっていて。

賢木がオススメというのも納得の客の入りだ。



「何にする?」

「っていってもなぁ…」



マスターの顔が見える席に二人陣取ると、早速何を飲むか聞いてきた賢木に僕は困惑気に答えた。

何を飲むかって言われても、僕にはこういう店は初体験で。

頼み方すら分からない。

こういう場に来ると、益々彼との差を感じて。

たった二歳しか離れていないのに、人生経験の差は歴然だ。

僕には勉強しか無かったのかな、と思うと何だか寂しいような悔しいようなもやもやした気持ちが沸き上がる。



「まぁ、最初からスマートに出来るヤツなんてねぇしさ。んじゃ、俺が適当に頼んどくから」



頭をぽんぽん撫でられ、その手を払うことも出来ず、僕は目を閉じて、その優しい感触に身を委ねる。

(なんだか、一瞬賢木の手が止まったのは気のせい?)



「賢木?」



心地よい感触が急に止まったことに不審に思いつつ、僕はそろそろと眼を開ける。

すると、彼の端正な容貌が案外近くにあったことに気づき、僕は慌てて顔を引いた。

どうやら無意識に自分は彼に接近していたらしい。

こんな風に甘えて、彼は変に思わなかっただろうか。

周囲の目よりも彼のびっくりしたような視線の方が、僕の動揺を深く誘う。



「え、えっと賢木…何でもいいから早く」



欲しい、というと彼はパチパチ大げさなほどに瞬きをして。



「???」

「……あ〜、なんつうか誘惑されてんのかと思った」

「?はぁ?」



下世話な台詞に、僕は眉を吊り上げたのだった。

 

「お待たせしました」


カウンターから順番に出てきたカクテルを受け取り、僕たちはカチンとグラスを触れ合わせた。



「んじゃ、皆本の初!ショットバー記念つーことで」

「大げさだなぁ」



くすくす顔を見合せて笑いながら、口をつける。



「美味しい!」



ジンジャーエールの清涼感のある風味に、柑橘系のフルーツの持つ独特の酸味が絶妙に混じり合って、

喉を心地よく通過する。鼻に抜けるアルコールの香りも嫌みがない。

ぐいぐい、とグラスを傾ける僕を賢木が嬉しげに見つめる。



「そうかそうか、そりゃ良かった。初体験だから、定番にしたんだけど」

「定番?」

「まー、そりゃモスコミュールだしなぁ。聞いたことない?」

「ああ、日本にいる時連れてかれた居酒屋にあったかな」

「…居酒屋と一緒にすんなよ」



バーカと、賢木がグラスを揺らしながら微苦笑する。



「しょうがないだろ!居酒屋だって、その…一回しか行ったこと無かったし。バーだって初めてなんだから」

「馬鹿にしちゃいねーよ。ただ、皆本のお初をもらって嬉しいってこと」

「?なに言ってんだよ」



まぁ確かに人生初のバー体験を導いてくれたのは彼だけど。

そんなことの何が嬉しいというのだろう。



「…まぁ、そりゃ分んないよなぁ…」

どこか遠くの方角を向く賢木を眺めつつ、僕には分からないことを深く考えているらしい彼を放っておいて、

僕はどんどん飲み進めていく。

ジュースのように口当たりが良い所為か、グラスになみなみ注がれた透明がかった液体はあっという間に空になってしまった。

 

「おい、そんなピッチ早いと潰れるのも早いぜ?」

まだグラスの半分も飲んでいない賢木が心配そうに声をかけるけれど。

次をせがむ僕にやれやれという顔をしながら、賢木はマスターに声をかける。

数分後に出てきたカクテルは、さっきとはうってかわった紅玉色。



「これは?」

「ポンピエ・デイジー。お子様にはこれくらいの度数がちょうどいいだろ」



キューブ・アイスを入れたオールドグラスの中にドライ・ベルモット、クレームド・カシス(と教えてもらったけど、

正直ベースの名前も僕には意味不明だ)を注ぎ、バースプーンで掻き回して(この作業をステアというらしい)、

その後ソーダを注いで出来るこのカクテルは、先ほどよりアルコールが強くない気がする。



「お子様ってどういう意味だよ」


またもや飲みやすさに負けて勢いのまま進める僕に、横から耳に痛い苦言。



「酒を楽しめないヤツのことだよ。八つ当たりしながら飲むもんじゃねーぜ?」

「うるさいな〜。そういう賢木はどうなんだよ」

「そら、俺だってまだまだワカゾーだし?酒に飲まれる日だってあるさ」

「ほら見ろ」



なんだか、賢木の言葉が無性にオカシイ。


そんな気持ちのまま笑いだすと、目の前の賢木は。


「…コイツ、笑い上戸か」


と、またもや意味不明なことを呟いたのだった。

ここに来てから、数時間。

空けたグラスの数は、僕が7杯、賢木が5杯。

ピンク・スクァーレル、ブラック・ベルベット、グロッグ、スプリッツァー、etc

まるで呪文のような名をもつカクテルをいっぱい体験して。



「なんでー、さかきーはぁ、もっと飲まない、んだぁ?」



すっかりほろ酔い気分の僕に、賢木もどこか困惑気だ。



「酔わせて持ち帰るつもりは無かったんだけど、どうすりゃいいかね」

「なに、言ってんだ?意味、がわかんない、ってば…。ほら次のお酒注文して」

「出来るか!すっかり出来上がってんのに、これ以上勧めらんねーよ」

「ちぇ、ケチ」

「アホ。そういう問題じゃねーっつの」



ぱかんと頭を叩かれて、僕はカウンターに倒れ伏す。



「へへへ、冷たくて気持ち良い…」

「本当、お前って見事に、典型的な酔っぱらいだよ」



さて、どうするかとぶつぶつ思案しているらしい彼の声は僕にとって馬耳東風だ。



「ねー、賢木。これ飲んでいい?」



目の前に置かれた彼のグラスから一口もらうと、レモンジュースとオレンジの柔らかな味に陶然となる。



「ねーねー、賢木、このカクテルの名前は?」

「ああ、これは…」



と言いかけた彼が、その頬を瞬間赤く染めた。

あれ、賢木も酔いが回った?



「教えてやんねぇ」

「なんで、賢木のどケチ!!」

「名前くらいでやいやい言うなよ。頭に響くって」

「なぁ、なぁってば〜」

「…次付き合ってくれるなら、教えてやってもいい」



もったいぶった賢木の言い回しが少しだけ変だな、と思わなくもなかったけれど、秘密が知りたい僕は一も二もなく頷く。



「よっし、次はまた別の店な。このカクテルの意味をじっくり教えてやってもいいけど」

「うん、教えて〜!」

「…願わくば、素面の時に言わせたいんだけどなぁ」

 

すっかり酔っぱらいモードの僕が、後日カクテルの名前を知って、頬を赤らめるのは別の話。

ブランデー、ホワイト・ラム、コアントローを同量、そしてレモンジュースをスプーン1杯。

そんな分量で作られるカクテルの名前は。

『ベッドに入って』という何とも艶めかしい響きを持つものだったのだ。

 

 終わり