重箱の愛情
遠慮がちなノックの後、入ってきた人物を見た瞬間、俺は自分の顔が笑み崩れるのをはっきりと自覚していた。
「皆本、おはよ」
「ああ、おはよう賢木。ゆうべは遅くなって御免…」
少し神妙な顔で詫びを入れてくる皆本に、俺は気にすんなと苦笑する。
はっきりいえば、帰ったのは俺の勝手で。
まぁ、すっかり「午前様」な時間だったから、帰宅してもすぐに俺の世話を焼こうとするだろう彼に
負担をかけたくなかった故の判断だったのだが。
「あんなに遅い時間になるとは思わなくって、子供達の面倒まで見させちゃったな」
「ああ、別に。ま、皆本にはゆっくり眠って欲しかったし」
「うん、有難う」
にこりと、俺の好きな笑顔を全開で向けてくれる彼に、昨日の判断は間違ってなかったんだとほっと胸を撫で下ろす。
「あ、それと昨日のおにぎり美味しかったよ」
「そっか?アイツら形が悪いって鼻で笑いやがったけどな」
「そうかな、ちゃんと出来てたと思うけど」
「ああ、別にへしゃげてたわけでもねぇし…ま、俺が握ったこと自体がアレなんだろ」
「アレって?」
首を傾げる皆本に、俺はそれ以上の言葉を繋げることをやめておいた。
皆本の握るおにぎりに慣れている彼女達にとって、俺の作るものは確かに不格好に見えるのだろう。
元々お世辞を言うようなタイプでもないし、彼女達にとって俺は気に食わない恋敵なのだ。どんな欠点も見逃してはくれない。
昨日の攻撃対象が、たまたまおにぎりだっただけだ。
「でも本当に美味しかったよ、賢木。握ってくれたその気持ちも込みでね」
彼女達に好かれるのは並大抵のことではないけれど、こうやって恋人はちゃんと俺の気持ちを汲んでくれる。
一番分かってもらいたい人にちゃんと理解してもらえるのは稀有な奇跡なのだ。
俺の方が、何だか幸せな気持ちを沢山貰った気がするのは多分気のせいでは無い。
「で、賢木」
先ほどから気になっていた少し大きめな包みを皆本は俺の目の前に置く。
「これ昨日の御礼」と言葉少なに渡されたものは。
「これって弁当か?」
包みから取り出されたのは、三段重ねの漆の重箱。中身を思わず透視しようとするとその手をぎゅっと握られる。
「昼まで我慢出来ないのか?そんなすぐにネタバレして欲しくない」
「けど、なぁ…」
なんたって、皆本の気持ちの篭もった三段弁当。今すぐに内容を知りたいのだ。
皆本の目をじっと懇願するように見つめると、皆本はしょうがないなぁと少しだけ内容を教えてくれた。
「えーと、アスパラのベーコン巻と、竹輪の磯辺揚げは入ってるよ」
どちらも俺の大好物だ。
しっかり俺の好みの物を詰めてくれたらしい恋人に、心臓を鷲掴みにされてしまう。
自分の小さな行動に対して、誠心誠意応えてくれる皆本。
そんな彼だから、俺は自分に出来ることなら何かしてやりたいと自然に思えるのだ。
「なんか、俺ばっかり貰いすぎじゃね?」
「そうかな?僕も賢木から同じくらい貰ってるよ」
そんな風にさらりと言う皆本の気持ちこそが俺にとって何よりのお返しで。
「…やっぱ、俺ばっかりだな」
「???」
三段重ねのこの弁当と。そして皆本との心からの笑顔と。
それを見ただけで、もう心が満腹になった気がして。
「なぁ、これ俺一人で食うの勿体ないなぁ」
「ああ、後でここに来るよ」
またしても俺の言いたかったことを正確に読んでくれた恋人に、俺は柔らかく微笑んだのだった。
終わり