純情警報
夕陽を背中に背負い、ビルの谷間に佇む二人の影。
夕日の中でもはっきり感じ取れるほど顔を朱に染め、目の前の存在を熱っぽく見つめる少年と、
隠しきれない戸惑いを滲ませる青年がその中心にいる。
ここが公共の場であるということすら忘れてしまったかのように対峙する二人の様子を、
道行く人が足を止め、真剣に注視していて。
そんな大観衆の中、彼らは静かにお互いを見つめていた。
何が起こるのか如実に想像できるしっとりした雰囲気の中、観客もまた甘い期待にその身を震わせる。
場に満ちるのは、次の展開への限りなくリアルな想像。
妄想と言い換えても良いその熱い期待に一切気づいていないのか、もしくは気づいているから突き進むのか、
少年は青年の元へ一歩踏み出して。
「皆本…オレ…オレっ、もうお前しか見えないんだっ!!」
「か、薫…っ?!」
少年の一世一代の告白が辺りに響いた瞬間、周囲のギャラリーからわっと歓声が飛んだ。
好意的な外野の反応を無意識に味方につけて、なおも少年は自身の熱い想いを青年に切々と吐露する。
「こんな気持ちになるなんて…これはもう運命なんだよ。皆本…好きだ、好きなんだ…!だから…っ」
「…っ…!か、薫っ!」
未だ子供といって差し支えはないのに。
彼の語る言葉には、大人も圧倒されるほどの激しい熱情が籠っている。
幼い容貌を恋情に染め、ゆっくり顔を近づけていく薫と呼ばれた少年の行動を固唾を飲んで見守る観客。
周囲の緊張が一気に高まり、辺りがしいんと静まり返った瞬間。
「……!!ちょ、っと、待てっ!!何してんだお前らっ!!」
めくるめくシーンへの予感に胸を躍らせる各々の耳に飛び込んできたのは、また別の青年の声で。
新たな登場人物の切羽詰まった声が、緊迫したムードを一気に吹き飛ばした。
はっと緊張が解け、慌てて少年との距離を取る想い人の姿を、苦み走った笑顔のまま見つめる少年。
「皆本、オレ本気だよ?本気で…皆本のことが…っ!」
「か、薫…」
「おいっ!ストップって言ってるの聞こえねーのかっ?!あのな、本気だろうがなんだろうが、そこでおしまいにしてもらうぜ?」
「賢木っ!!」
必死で胸中に宿る想いを全て伝えようとする少年と、返答に困っている青年の間を割くように先ほどの彼が立ち塞がった。
自分の背中に皆本と呼ばれた青年を隠すと、彼は少年に視線を向ける。
「はぁ…一体何やってんだ?勝手に一人で盛り上がんなよ。もし分かってやってんならシメるぜ?」
「賢木先生?」
「よせ、賢木っ!!多分薫は…っ!!」
「残念だったな。気付いた途端に失恋なんて」
「え…」
賢木の言葉の意味を悟ると、少年は驚愕を正直に体全体で表して。
「なんで、そんな言い方…するんだ、賢木!もっと良い言い方が…っ!」
「悪いかよ。はっきり言わなきゃ意味ねぇだろ、こういうことは」
自分の恋人が告白劇に巻き込まれるなんて冗談も甚だしい茶番だろう。
けれど、薫は大真面目に皆本に告白しているのだから。
そちらが本気なら、こちらも本気で応戦しないと相手に対して失礼だ。
なんたって、自分は皆本の恋人で。
相手をねじ伏せる権利は十分ある。否、恋人を誰の手からも守る義務がある。
権利と義務の両方を誰かに譲渡する気はさらさら無い。
「悪いな、そういうことだから。俺の取るなよ?」
にやりと獰猛な笑みを浮かべる賢木に強烈な一発をまともに食らい、薫はくしゃりと顔を歪めたのだった。
「出てこないやんな」
「出てこないよね」
天の岩戸よろしく薫が部屋に立てこもって、もう数日。
皆本のマンションにはその場から退散したくなるほど張り詰めたムードが漂っていた。
「どうするつもりなん?賢木センセ」
「え、どうって…」
「曖昧に濁すの?それって最低だよね」
「いや、つーかさ…」
少年二人の抗議の眼差しに、賢木は視線をあさっての方へ向ける。
「少々」大人げないふるまいだったことは承知しているが、責められるようなことは何もしていない筈だ、多分。
自分の恋人にモーションをかけられた自分の方が同情されてしかるべきなのに、
根本的にお子様二人はそのことをまるきり分かってくれない。
「あーあ、薫がこのまま恋愛恐怖症になったら、どないしてくれるん?センセ」
「そうそう、薫君純情だから、その可能性高いしね。一生恋なんてしないって言いそう」
「うう、薫めっちゃ可哀想…こんな大人のせいで」
「だよねー、サイアクに運悪すぎ。本当マジで」
「っ!!!あのなっ!!ネチネチ苛められてトラウマになりそうなのは俺の方だっつーの!!」
これみよがしな嫌みを容赦なく投下してくる葵と紫乃に賢木は頭を抱えた。
薫の痛みを自分のもののように受け止めているらしい二人の言葉は、
敵である賢木に対して手加減など一切無く、ただひたすらきつい。
「ごめん、賢木。僕がはっきりした態度を取らなかったから」
恋人が集中砲火を浴びていることに耐えられなくなった皆本が二人を諌めようとするのだが。
「皆本さんは悪くないよ。なんとか丸く収まるようにって悩んでたんでしょ?」
「そやそや。それって大人な対応やん?この駄目大人と全然ちゃうもん」
「……随分態度が違うんじゃねぇのか、おい」
あからさまな手の平返しに溜息をつきながら、賢木は皆本を見つめる。
「あれは不可抗力だから、気にすんな。普通あそこまですると思わねーし」
「うん、まさか人の目がある場所であんなことするなんて」
「つか、一体なんなんだよ。あの大告白大会は…」
子供達の方へ向き直り、視線を合わせると紫乃が、
「あー…アレは、多分これのせいじゃないかな」
賢木の疑問に答えるべく、自分の携帯からある画像を示した。
「どれどれ…“純情散るチル”?」
「そう、今世間で大人気の純愛少女マンガ。薫君のバイブル」
「で、コレが一体何の関係が?」
今もって氷解しない謎に首を傾げる賢木に対し、
「えっと、皆本はんに言ってた台詞…思い出してみ?」
「あー…お前しか見えないとか、本気だとか運命だとか、やけにキラキラしいこと言ってたなぁ…ってまさかっ」
「やっぱなぁ…うん、そのまさかや」
葵が携帯を操作し、公式サイトを探り当てると賢木に見るよう促す。
トップページにある「読者が選ぶお気に入り台詞トップ10」なるものを見た賢木の目が、
そこに表示された文字の羅列に釘づけになった。
「っ!!これって…!!」
「ようやく気付いた?まぁそういうことだよ」
「読み込んでるんは知ってたけど、まさかホンマにやるとは…」
肺が空になるほど深く溜息をつく二人の顔には、脱力感漂う笑みが張り付いていて。
「じゃあ、台詞を使ってみたかっただけで、皆本のこと実はそこまで本気じゃないってことか?」
現金にもウキウキし始めた賢木に、紫乃は無情な一言を告げる。
「馬鹿だね。大好きなマンガの大好きなシーンを再現したいくらい、皆本さんのこと本気で好きってことだよ」
「!!!」
「そうそう、だから傷が深いねん」
ぐっと喉を詰まらせる情けない大人に対し、少年二人は早急な解決策を迫る。
「どうすんの?」
「どないするんや?あんまもう、時間ないで?」
「薫?いいか…?」
遠慮がちにノックする声と同時に、鍵穴に鍵が差しこまれる音とドアに加わる力に気づき、
それまで枕に顔を埋めていた薫は必死に拒絶の声を上げた。
「駄目だってば!俺、まだ皆本に会えない…っ!!」
「んな寝言言ってんなよ。入るぞ」
隣にいたらしい賢木が皆本とは違い、ズカズカと室内に入り込んできて。
鍵だけではなく、サイコキノで部屋を完璧ロックしておけば良かったと後悔しても今さら遅い。
目の前にいるのは、大好きでたまらない想い人とその彼の恋人。
二人が一緒に現れて、どんな顔をして良いのか分からず、薫は泣き晴らした顔を悟られまいとぷいっと顔をそむけた。
「薫、話があるんだ」
ベッドに近づく皆本に、薫は視線を絶対に合わせまいとくるりと背を向ける。
「俺は…ゴメン、今ちょっとまともに話出来ない…」
「聞いてくれるだけでも良いから。薫…僕は」
「っ、ゴメン、正直話聞くのも辛い…」
現在の心境を呟くと、皆本の声が動揺に揺らぐ。
「そ、そう…だよな。分かってるんだけど…でも…」
「皆本、お前の方が辛そうだろ。いいよ、俺が話す」
「でも、僕には責任が」
「俺にだってある。それに皆本ほど甘くないしな、俺は」
「?」
賢木はベッドの上にいる薫を引きずり下ろすと床に直に座らせ、強引に視線を合わせた。
新たな涙を溢れさせようとする薫に構わず自分たちの目の前に据えると、軽く息を吸って。
「俺は皆本と違って申し訳ないなんて思わねーし、謝るつもりも無いから」
「っ!!」
「でもな、あの時ああ言ったのは苛めじゃないぜ?子供だから真剣じゃないなんてこと無いし、
お前が真剣だったから、俺もそれに答えたまでだ」
賢木の冷静な発言に息を飲む薫の様子を見ながら、彼はなおも続ける。
「馬鹿にしてたら、あんなこと言わねぇよ。それは分かるだろ?」
だからこそ、一切誤魔化しの無い言葉で最後通牒を突きつけたのだと賢木は告げる。
次々語られる賢木の誠実な言葉には、お茶を濁すような曖昧さも、その場さえ治まれば良いという適当な誤魔化しも無くて。
きっと、自分の恋人に手を出されて面白かろう筈も無いのに、自分を対等に扱おうとするその懐の深さに、
薫はなすべもなく打ちのめされた。
自分達子供の成長を見守る大人として、そして皆本を全力で護ろうとする恋人として。
常に自分に正直であろうとする姿勢に、ただ驚嘆するしか出来ない自分が情けなくて、格好悪くて目をつぶってしまいたい。
けれど、賢木の恋人への想いを目の当たりにしてそうすることも出来ず、ただ無力さを痛感する。
普段はあんなに軽く見せているのに、ふとした瞬間垣間見えるその深い感情は、
愛読書のように明快では無く、しかし、だからこそ重みがある。
こちらが躊躇うほどの皆本への感情の一端を、無造作にこちらに差し出してくる大人に沸き上がるのは嫉妬心。
いつか自分も大人になったら、こんな風に何のてらいもなく恋敵に接することが出来るようになるだろうか。
(いや、全然…もっとじゃないと駄目だ)
もっともっと、余裕があって包容力のある大人にならないと、きっと皆本を甘やかしてやれない。
息をするより自然に笑顔にさせてやれない。
そう、目の前の彼のように本当に皆本のことを想うなら、自分自身が成長しないと駄目なのだ。
彼のように、傍にいるのが当たり前と周囲に知らしめるような自然さで皆本を支えてやりたいのなら。
だからこそ、目の前の恋敵を踏み台にしてでも、自分は高みを目指さなくては。
決意も新たに賢木を見つめる薫に、彼もまた真剣な眼差しでそれに答える。
「本気なら、本気らしく全力でぶつかってきな」
手加減無用で相手してやる、と不遜な笑みを浮かべる手強い大人に、薫は拳を繰り出したのだった。
終わり