恋トレ!(2)






 気のない自分の返事にもうんざりした顔を見せない彼女は相当人格者なんじゃないだるうか。



アイスコーヒーを口に含みながら、皆本は成績をつけるかの如く、ひどく冷静に彼女を観察していた。

料理が趣味という彼女の話にはとってつけたかのような嘘は見当たらない。

皆本の少し捻くれた質問にもそつなく返してくる姿を見つつ、それでも皆本は彼女に興味を示すことは出来なかった。

意地悪な面ばかり出している自分をはっきり自覚している。

すべてはこの場所から早く立ち去るための作戦なのだ。

早く帰って、賢木を問い詰めなければいけない。

彼が例えその理由を口にしなかったとしても。

溢れそうなこの感情をぶつけないと、苛々で体が煮えてしまいそうだ。




「ミナモト?具合でも悪そうな表情してるわ」

目の前の、名前さえうろ覚えの彼女が心配そうな表情を浮かべる。

けれども、自分はそんな言葉にさえ、愛想笑いをする気になれない。

「…別に」

何でもないと短く告げると、彼女は鼻白んだ様子でそれきり黙りこむ。

(彼女に罪なんて、ないけど)

アイツの思い通りになってなんかやるもんか。

絶対に、賢木の目の前で仲良くなんてしない。

そう心に決めて、この場から上手に消えるきっかけを皆本は早々に視野に入れ始めたのだった。






一方、皆本の怒りの根源である賢木はというと。

「なんだか、つまらなそうね…シュウジ」

皆本から少し離れた席でガリガリと氷を噛み砕いていた賢木は、隣に座った彼女にそう指摘されるほど、

表情をはっきりと不快に染めていた。

「そう思うんなら、ほっとけよ」

賢木のばっさりとした拒絶すら柳に風の風情で、彼女は賢木の腕を自分の胸に抱きこむ。

「嫌よ。折角貴方の隣なのに、何もしないなんて勿体ない」

「…勝手にしろ」

どうせ、この彼女のことなんて気に回す余裕なんて一切ないのだ。

先ほどから皆本しか見ていないのだから、誰が寄ってきても同じこと。

我関せずといったポーズを取り続ける賢木の横で、彼女はおかしそうに笑う。

「浮気現場を垣間見た旦那様って感じね。そんなに大事なら箱に仕舞っておけばいいのに」

賢木の視線の先を目ざとく把握した彼女の言葉に、賢木は自嘲気味に笑った。

「…出来るわけねぇだろ」


出来ないから、こんな茶番を仕掛けたのだ。

関係の永続を望むからこそ、この感情を前面に出して想いを遂げてしまうことなんて賢木には出来ない。

けれど、一緒にいることに耐えられなくなるほど、この厄介な気持ちは育ちすぎて。

いつ暴発するか分からない危うさを秘めたまま、何かの拍子に…なんて自分が許せない。

だから。


(アイツが誰かと付き合ってくれればいっそ諦めがつく)


この気持ちに折り合いをつけることが出来るかも知れない。

こんな他力本願な方法で、本当に自分を抑えられる保証は無いけれど、縋るしか道は無いと思ったから。

「単純に馬鹿ね」

呆れたような彼女の言葉はまさに的を得ている。賢木は無意識に心臓の辺りを押さえた。

「分かってるって、ンなこと」

自分の気持ちの舵取りを他人に任せようとするそんな卑劣な考え方も、

そして自分で招いたことなのに視界に入る光景に不快感を隠せない正直な本音も何もかも。


(そんなの一番実感してるっつーの、馬鹿げてるって)


皆本の彼女にふさわしい、真面目で優しいタイプの女性を厳選した筈なのに。

彼の前で話をしているその彼女に、どうしようもなく嫉妬しているのだからこれ以上不毛なことは無いだろう。


ハニーブロンドの髪に、あどけない口元。

癒し系な彼女の表情が醜悪に見えてくるのだから、間抜け以外の何物でもない。


(あ〜、こんな企画組まなきゃ良かったな)

どっぷり後悔に浸かる賢木に、隣の彼女の声がダメ押しをかける。

「彼女、ミナモトに本気なのね。あんなにつれなくされてもめげてないもの」

「だから?」

「彼、押し弱そうだから、なんとなく付き合っちゃいそうじゃない?」

「!!!うっせぇな!どこか行ってろよ!」

言われたくないことを指摘された苛立ちで、賢木が強引に彼女から腕を振り払うと。

「…シュウジって意外と遊べない人なのね」

がっかり、とあからさまに溜息をついて、彼女が席を離れる。

誰憚ることなく自己嫌悪に身を焦がす賢木の周囲には人を寄せ付けない雰囲気が出来ていて。

流石にそんな高いハードルを前に、果敢にアタックしようとする者はいるはずもない。

すっかり風通しの良くなった席に腰を埋め、温い水を呷る。


(早く、終わってくれ)

こんなモノはもう見たくなんて無い。

どんなに心中叫んだところで、希望通りにならない現実に唇を噛むしか出来ない。


(もう、こんなことぜってーしねぇ)

賢木は自分の愚行に心底嘆きつつ、報いを受けるとばかりに数時間我慢し続けたのだった。





半ば修行僧のような苦行に耐え続けた賢木が一瞬席を離れ、それから再度席に戻ると。

「あれ?」

先ほどまでいた女性達ががらりと消えて、いるのは皆本一人きり。

そんなに長いこと席を外していたわけではないのに、と訝しがる賢木に皆本が近付いてくる。

「皆には帰ってもらったんだよ。そんな気分じゃないからって」

「?どうして…」

確かに皆本はあまり彼女に対して乗り気では無さそうだったのに、そんな強硬手段に出るなんて、

まるきり予想なんてしていなくて。

「どうしてって、それ僕のセリフだから」

「……やっぱ怒ってるか」

「当たり前だろ!」

いつになく怒りを露わにする皆本に、賢木は肩を竦め、元いた席に腰を下ろした。

皆本はその向かい側に座り、逃げることは許さないとばかりに厳しい視線を向ける。

「一体どうしてこんなことしたんだ」

「どうしてって…」

彼にしてみれば、自分の暴挙に憤るのはしごく当然の反応だ。

自分が同じ立場なら、多分同じように問い質す。

けれど、自分は今、問い質されたくない。

自分勝手なことは承知の上で、何も聞かれたくないのだ。

好きになりすぎて、歯止めが効かないからその前に決着をつけようとした、だなんて。

どうして、そんなことが言えるだろう。

多分、酒に溺れたってそんなこと容易に口に出来ないし、してはいけない。


皆本の問いにただ黙るしか出来ない、自分の情けなさに吐き気がする。

賢木の沈黙を前に、皆本は忍耐強く返事を待っているけれど。

「……賢木は、僕が彼女を作れば満足するのか?」

一向に返事を返さない賢木に焦れたのか、皆本の口から飛び出したのは、賢木がもっとも聞きたくない言葉で。

「…っ!そんなこと、ねぇよ…」


誰のものにもなって欲しくない。

それは数時間の上に導き出された、混じりけのない純粋な本音。


「なら、どうして……っ!」

「………」

「…っ、賢木!!」

肩を揺すぶられ、慌ててその手を退けようとすると、刹那飛び込んできたのは皆本の激しい感情の渦。


『今のままじゃいけないのか?!』

それは一番、自分が望んでいること。

『僕は賢木の隣にずっといたいだけなのに』

俺だって、皆本以上に心を許せるヤツなんていない。

『二人の間に誰かを介入させたくない!!』



「っ!!!」

まるで強烈な愛の告白のような、皆本の独白に賢木は耳まで顔を赤く染め上げた。



二人でいたいから誰かと付き合う気が無いなんて。

まるで、賢木のことが好きだと言っているみたいだ。



「…透視たのか?」

「悪い、そんな気無かったんだけどさ…」

「いいよ、言う手間が省けたから」

透視られた羞恥に少し気恥ずかしそうにしながら、皆本は咳払いをする。

「とにかく!そういうわけだから」

「…そういうわけって?」

皆本の言いたいことがいまいちぴんと来ず、首を傾げる賢木に皆本はむっとした表情を浮かべると、

その秀でた額をデコピンした。

「痛ってぇ!!何すんだよ!!」

「賢木が悪いんじゃないか!!こんな手の込んだことするから…っ!!」

「そら悪いとは思ってるけど、デコピンて小学生かっ?!」

「ああ、小学生で結構だよ!!賢木の馬鹿さ加減だって小学生並みじゃないか!!」

「皆本こそ、俺の気持ちに気付きもしないで…!!」

「気持ちって何のことだ…っ?!悔しかったら言えばいいだろ?!」

「ぐ…っ、本当に可愛くねぇな!」

「別に可愛くなくてもいいから!!」


嵐のような舌戦は、賢木の気持ちを和らげる清涼剤の代わりとなって。

皆本が気を使ってくれたのかどうかは定かではないけれど、少しだけいつものペースを取り戻せたことに、賢木は安堵した。

(…うん、まだ大丈夫だ)

皆本のふとした表情の緩みや安心しきった笑顔を見てしまうと、まるで全力疾走したように心臓が感情を訴えるけれど。

今日の苦痛を思えば、まだ耐えられる。

目の前できゃんきゃん吠えている皆本を愛おしげに見つめながら、賢木はその他愛ない喧嘩に身を任せ。

皆本といつも通り会話できる幸せを深く噛みしめたのだった。




終わり