無自覚三段活用(一段目、紫穂の場合)







「なぁ、皆本まだ〜?!」

もうこれで10回目の質問。そんなこと何度聞かれたって、私が分かるわけないじゃない。

いつもならもうとっくに皆で夕食、って時間なのに、皆本さんの帰りがどうしてか遅い。


几帳面を絵に描いたような性格の彼だから、万が一帰宅時間が遅くなってもいいよう

常時冷蔵庫の中にストックはあるけれど、そんなのばっかじゃ味気ないし、

私たちは皆本さんと一緒に食事をしたいのだ。


「遅かったら、待ってなくていい」というのが彼の口癖だけど、ホント鈍感。

別に皆本さんじゃなかったら待ってるわけない。

そこをもっと汲んでほしいなって、ちょっと無理な話かしら。



今日だって、特に差し迫った仕事は無いって言ってたから安心して帰りを待ってるのに、

玄関のドアが開く形跡は全くない。


あんまり薫ちゃんがせがむものだから、皆本さんの携帯にも一応電話をしたけれど、

「もうすぐ戻るから」って曖昧な返事しか無かったから、何時に帰宅するのかははっきり言って藪の中だ。



「なぁ、紫穂。何時に戻るって言ってた?」

空腹しのぎに、スナック菓子を口いっぱいに含みながら、薫ちゃんが真剣な顔を向けるけど、

あいにく彼女の期待に応えられるような返事、持ってたらさっさと伝えてる。


「………さぁ?」


だって、本当に知らないんだもの。

答えようが無い質問のループって、ちょっと疲れる。

私の答えにならない切り返しに薫ちゃんはとうとうぶすっと膨れて、「紫穂の愛が足りない…」なんて

聞き捨てならないことをぶつぶつと呟いている。

もう!それってどういう意味?



本当にこんな時の薫ちゃんは手に負えない。

いつもなら、ちゃんとサポートしてくれる葵ちゃんも、今日ばかりはご機嫌斜めみたいで、何のフォローもなし。

さっきから黙って雑誌をめくっているけど、視線はどこか上の空だ。

いつもなら、私と葵ちゃんの立場って逆の筈なのに。

なんで、私があたられなきゃいけないのかしら?

すごく、すごく理不尽すぎる。

せめて、帰宅時間くらい教えてくれれば私たちだってこんなローテンションになりはしない。

お利口にしている知恵くらいはある。

けれど、今日みたいな日は。


珍しく、「何時に帰る」と言わない皆本さんにちょっと不信感を抱きつつも、

今は早く帰ってきてくれればとりあえずそれでいい、と私はそんなことを考えていたのだった。





 

「ごめん、遅くなった!」

急に玄関がばたばた開いて、凄い勢いのまま皆本さんが走り込んでくる。

只今時刻は九時半を少し超えたところ。数時間遅れての帰宅に、私たちは勢いよく席を立った。

待ちわびた人の登場にようやく二人は表情をぱっと明るくする。

やれやれ、ようやく通常モードね。

なんだか肩が凝ったな、なんて年寄りくさいことを思いながら、私もまた会いたかった人の傍に駆け寄る。

私だって、二人に気持ちは負けていないのだ。

今日は、なんだか損な役回りの所為で、そうアピールできなかったけれど。

 


「なぁなぁ、遅いってば!!」

皆本さんの後ろにぴったりくっつく薫ちゃんと、手早く味噌汁を作る皆本さんの横でいそいそ準備を

手伝っている葵ちゃん。

ほんの少しだけ三人から離れた私は、脱ぎ捨てられたジャケットがソファからずり落ちているのを発見する。



今日は本当に珍しいこともあるものだ。

何度も言うようだけど、皆本さんは几帳面だから、脱いだものをちゃんとハンガーにかけてからじゃないと

食事の準備なんてしないのに。



(いつもより遅いから、待たせないようにって焦ってるのね。でも、ちょっと変)



大体、そんなに遅くならない雰囲気だったのにそれがここまで遅くなる理由って何かしら。

幸い、皆本さんは食事の準備に余念が無いから、こちらの様子を気に掛ける暇なんてありはしない。

(せめて、少しはお駄賃もらわないとね)

私は、ジャケットを持つ手に力を込めた。

 




(あ……なんだ、そういうことか)






「皆本さん」

すっかり準備を終えた皆本さんが、自分の荷物を片付けにやってくる。

持っていたジャケットを渡してあげると、彼は少しすまなそうに微笑んだ。


「ごめん、こんな遅くなるはずじゃなかったんだけど」

「けど?」


私の予期せぬ追及に、皆本さんがびくりと体を揺らす。

あ、なんか思いっきり動揺してる。

取り澄ました顔も良いけど、こんな風にどぎまぎしてる顔、小動物みたいですっごく可愛い。


「いや、その…」


なんと答えようか頭の中で一生懸命組み立てているらしい皆本さん。

私の視線の前で、頬を朱に染めながら。

ああ、本当にこんな可愛いヒト、彼には勿体なさすぎる。

「遅くなったの、仕事だけの所為じゃないわよね?」


早々にこちらからアクションを仕掛けると、皆本さんの目は驚きに大きく開かれた。


「なっ!!いつの間に透視たんだ!!?」

「さぁ?少しだけ、私たちのことないがしろにした罰よ」


なんて、ちょっと怒った顔をしてみせると、皆本さんが少しずつ萎れていく。

あ、ちょっとやりすぎたかしら。


「ごめん、僕は…その…」


本当は、皆本さんが悪いんじゃない。悪いのは皆アイツ。

そのあたりの事情は、ちゃんと理解ってるけど。


「冗談よ、そんな顔しないで」


あんまり苛めすぎて嫌われちゃうのも問題だから、今日の所はひいてあげましょう。





本当の理由はね。






「なぁ、今日いつもより早く帰れるんだろ?」

そういって、帰り支度をする皆本さんに近づいてきたのは、当然アイツ。賢木先生だ。

「ああ、最近ちょっと時間が不規則だったから、今日は三人の好物作ってやらないと」

ぱたぱた準備を終えて、帰ろうとする皆本さんの腕を掴んで自分の方に引き寄せている。

「なー、たまには少しだけ俺ン家来ねぇ?少しでいいからさ」



『少し少し』って、寝坊の時の常套句じゃないんだから。透視ている私が苦笑してしまう必死さで、

何とか自分の根城に皆本さんを引っ張り込もうとする賢木先生。

けれど、私たちの為に、皆本さんはつれない返事をかえすばかりだ。


「ごめん、今日は無理だよ。チルドレンにも遅くならないって言ったからさ」

早くしないとタイムセールが終わるからゴメン、ってとどめの一言。

完全に撃沈したあの男には悪いけどちょっとイイ気味。何かって言えば、皆本さんの傍に

べったりなんだから、たまには痛い目見ればいいんだわ。

けれど、転んでもタダで起きないあの男は、職員玄関を出た皆本さんを捕まえて、

人気のない裏口に彼を引っ張り込んだ。


「?なに、賢木」


当然、首を傾げる皆本さんに、賢木先生ったら。


「じゃあ、今日のデートは我慢するからさ〜、そのご褒美にちゅーして
()


本当にいつも思うけど、誘い方がレトロすぎる…いや、何だかただのオヤジ。


「!!!ば、馬鹿!何言ってるんだ!!大体ご褒美って……!」

「だって、最近二人きりで過ごす時間てないだろ?ちっとはそれくらいあっても悪かない」

「賢木!!」

「それとも、俺とはキスしたくない?」

「っ!!そ、んなわけあるか…っ!!」


拒む皆本さんに、迫る賢木先生。

けれど、賢木先生に甘い皆本さんの性質を良く理解した戦法で、忌々しいことに賢木先生の粘り勝ち。

押しの一手でアタックし続ける賢木先生に、仕方ない風を装いながらも、潤んだ瞳をゆっくり閉じて顔を

ゆっくり近づける皆本さん。



あ、セクハラ大魔王にそんなことしたらカンペキ逆効果。

あ、あああ。

あーあ。



それから、辺りに響くぴちゃぴちゃという水音。

長い長い口づけを解いた頃には、すっかり皆本さんは食べ頃状態で。

流石に、家に連れ込まれはしないけれど、足腰がおぼつかなくなった皆本さんを近くの公園までゆっくりゆっくり誘って。

そこでのんびり二人きりでいたという訳だ。

だから、悪いのは賢木先生。

本当は「先生」なんて言葉を付けたくないくらいだ。

だって、ちょっと極悪じゃないかしら。

可愛い私たちが帰りを待っているのに、勝手に横から手出しなんてしないでほしいわ。




「紫穂、本当にごめんな?明日は三人の好きなデザートも作っておくから」


優しい皆本さんの言葉にほんわかしそうになった途端、無遠慮な着信音が部屋に響いた。

私の耳元で運命のゴングが鳴る。


「あ、もしもし…賢木?何、え…今から来るのか?…え、あ…ああいいけど…」


さっきまで、あんなに一緒にいたくせにあの男!!

皆本さんも、あっさり許可なんてしないでよ!

折角折角、四人での夕食を楽しもうと思ってたのに!


「ご飯、お前の分無いかもな…うそうそ、冗談だって…ああ、待ってる」


電話で話をしながら、キッチンの方へ向かう皆本さん。

今から、たぶん彼の為にもう一品作れる材料があるか探しに行くつもりに違いない。

私たちは三人分同じメニューなのに。ちょっと特別待遇が過ぎるんじゃないの?

「今日の遅刻の理由、薫ちゃんと葵ちゃんに教えちゃおうかしら」

教えてしまえば、相乗効果で嵐のように荒れ狂う二人の姿が容易に想像できるからどうしようかと思ってたけど。


「けど、とりあえず賢木先生はお仕置き決定ね」



一体どんなことをすればスカっとするかな。

皆本さんが知らない賢木先生の恥を暴くのって、精神的にどうかしら?

それとも肉体的にダメージを与えた方がより効果的?

愉しい企みにくすくす笑い声を洩らしながら、皆本さんを盗み見る。

彼の無防備な背中に飛びつきながら、私はあの男への天誅をどうやって成功させようか考えていたのだった。






続く