月夜に、花のひとしずく(2)
様子をうかがいつつ、ベンチ近くの自販機で買い求めたミネラルウォーターが半分の量になる頃、
ようやく覚醒の兆しを見せ始めた恋人に、賢木は安堵の息をついた。
ここに寝かせてから、15分。そろそろ起こそうかと悩み始めていたので、自発的に起きてくれるのは素直に嬉しい。
「皆本?」
試しに声をかけると、鈍い反応ではあったがちゃんと反応する皆本に「これなら大丈夫だな」と
体を起こすのを手伝おうと体を近づけた瞬間。
ぼんやりと焦点の合わない双眸が眼前に飛び込んできて、賢木はその濡れた瞳に一瞬息を飲んだ。
普段の清冽なイメージとはまるで違う、温む色彩。
二つの漆黒が月光に照り映えてつやつやと照り輝いている様は、声も出せない程の凄艶さで。
その瞳に吸い込まれそうな錯覚に取りつかれ、動きが完全に固まる賢木に対し、
皆本はゆっくり体を起こすとそのまま賢木の唇に、そっと口付けてきて。
「!」
「……ん…っ」
挨拶のキスというには、甘すぎる接吻。
けれども、この先を望むのか否か、判断しづらい曖昧さで、賢木の心を掻き乱す。
通常より長く唇を合わせ、皆本の体温と自分のそれを絡ませると、彼は賢木の背中にゆっくりと腕を回して。
青白い光と照明に照らされた公園のベンチで、日中では憚られるようなキスに二人で浸る。
「ん…皆本…」
「さか、き…っ」
もっと深く交わろうと、賢木がぐっと抱き締める力を強くすると、刹那皆本の体が大きく揺れたのが体越しに伝わる。
「…っ!!」
「!!…っ…み、なもとっ?!」
背中に回していたその腕の結びつきを解き、いきなり突き飛ばしてくる恋人。
その突然の行動に一瞬反応が遅れ、賢木は反射的にその場から一歩後ずさった。
「賢木、ごめん」
「何が」
はぁはぁと息を整えながら、謝ってくる恋人の思考がまるで理解できない。
こちらとしては謝られることなど何もされてはいないのに。
「ごめん…僕は…」
じっとこちらを見つめる恋人の瞳が何か言いたげに細められるのを、賢木は混乱のまま受け入れることしか出来ない。
先ほどの名残を湛え、隠せない熱を浮かべ。
それなのに、何も言わない恋人の不可解さに賢木は思わず口を切った。
「謝る意味がわかんねぇよ」
自然強くなる口調に、皆本が体を揺らす。
責めているわけじゃない、ただ理由を聞きたいだけだ。
じっと忍耐強く言葉を待っていると、皆本は逡巡しながらもゆっくり言葉を繋いだ。
彼の口から飛び出したのは、夜気に溶けてしまいそうな弱々しげな呟き。
「だから、今僕は…不安定だから、その…」
「ん?」
「優しさに、甘えそうなのが嫌なんだ」
「それで謝ったってことか?」
こくんと素直に頷く恋人に、賢木はその頭を撫でながら、ぐいと体を引き寄せた。
(…ひでぇな、期待させてもくれねぇのかよ)
甘えるなんて、自分がしょっちゅうしていることなのに。
そんなことまで気遣わなくとも、お互い様だろうに。
言いたいことはたくさんあるけれど、懇切丁寧に説明したとしても、
多分今の皆本では必死の説得に対してその全てを否定的に捕えてしまうに決まっている。
だから、限られた語彙の中で皆本に伝えられる言葉の精一杯を。
自分の気持ちを的確に表現するには、多分こんな言い回ししか出来ないから。
「素直に甘えんのが嫌なら、甘えたくなるほど泣かしてやろうか?」
「さ、賢木…」
ぴくんと肩を揺らす皆本の耳元で耳朶をなぞるように呟くと、恋人が身を固くする。
けれど、先ほどのように拒絶の態度を取らない恋人に安心して、賢木はぐっと息もつけないぐらいきつく抱き締めた。
「泊まってけよ、ウチ。却下は認めないから」
「…ありがとう」
小さく零れた感謝の言葉は優しい響きを含んだ皆本の正直な感情。
「お礼言われることじゃねぇだろ」
髪に唇を寄せながら、賢木は気真面目な恋人に苦笑したのだった。
続く