リップサービス

 

自分に声をかけてくる女性に対しては、とりあえず歯が浮くようなセリフを一つ二つ。

そんなカンタンなことで場が和むなら上々だ、と賢木はそう言って憚らない。

本気でそんなことを思っているらしい賢木の『マナー』は、僕にとって醜悪な非常識にしか見えない。

女性達へ向ける賢木の何気ない言葉が静かに静かに積み重なって、僕の心を圧迫していく。

 

絶対に、言いたくないけど。

言ってしまったらつけ上がるに決まってるから。

「僕の目の前で言わないで欲しい」、なんて死んでも言えるか。

…本当は今すぐ詰め寄って、責め立ててやりたいけど。

 

 

 背中に燃えるような視線の矢を感じ、賢木はゾクゾクと背筋に快感が走るのを感じた。

(我ながら、酷い趣味すぎる)

目の前にいる女性とくだらない雑談に興じながらも、先ほどから賢木の気持ちは遠く離れた場所にいる人物へと注がれている。

「やだ、馬鹿なことばかり言って。賢木先生ったら口がお上手ね」

「いや〜。だって、本当のこと言ってるだけっスから」

 

綺麗なモンに綺麗って言うのは当然なことでしょ?

 

なんて、実は目の前の女性よりも綺麗なものを知っているくせに、賢木はしゃあしゃあと美辞麗句を連ねていく。

 

本当は、背後の彼が見せる憂いを帯びた表情だとか。

彼の涙に濡れた顔が、笑顔に変わる一瞬だとか。

 

そんな素顔の方が、何倍も綺麗だということを知っていてなお、彼以外の女性に対し滑らかに動く口は、耳触りの良い言葉を生成していく。

目の前の女性への賛辞は、はっきり言ってまるきり中身が無い言葉の羅列にすぎない。

 

そんな会話を続けている理由は、賢木の悪いクセによるもので。

(皆本が俺のこと、見てる)

しかも、多分ひどく険しい表情で。

人当たりの良い、どちらかといえば温厚な皆本が向ける鋭く尖った感情を背中に受け、賢木はこっそり微笑んだ。

誰にでもわけ隔てなくあげるような、そんな生ヌルい感情じゃ物足りない。

俺にしか得ることの出来ない感情が欲しいのだ。それが例えマイナスの感情であっても。

皆本の「特別」は、全て自分が手に入れたい。

愛されている実感をもっともっと欲しいのだ。呆れるほどに貪欲に。

 

今日もまたそんな賢木の良くないキモチが頭を擡げた末、わざわざ皆本の目につくような場所で、リップサービスの過剰サービス。

案の定、深く怒っているらしい皆本の責めるような視線に、賢木は体の奥から燻られているようなそんな歓びに身をどっぷり浸していた。

 

もう、目の前の女性と交わしている会話の内容すら把握していない。

皆本に対しても、目の前の女性に対しても、著しくマナー違反だ。

 

「ねぇ、賢木先生。聞いてますか?」

「え?あ、すいません。何の話でしたっけ?」

話をまともに聞かずに相槌を打っていたため、あからさまにぼろが出た賢木に、女性はやれやれと首を振った。

「賢木先生、今日はちょっとおいたが過ぎましたね。こんな見るからに興味無いって顔で会話されても、私もちょっと付き合えないなぁ…」

「は?」

 

全く予期していなかった彼女のとんでもない発言に、賢木は、

「え、何のこと言ってるんですか。別に俺は何も…」

言い繕っても、彼女はそんな小手先の芝居を許してくれる気なんてさらさら無いようだ。

「嘘ばっかり。言葉もそうだけど、顔にはっきり書いてありますから」

 

聡い彼女の爆弾発言は、まるで頬にビンタを食らったかのような激しい衝撃。

殴られてもいない頬を摩る賢木に、彼女は「姉」のように慈愛に満ちた表情を浮かべた。

「賢木先生って、本当どうでも良い人には、くだらないこと長々と話す傾向にありますよね」

「!!!」

「んー…というか、興味無ければないほど、口が回るって言うか…。暑苦しいほど、褒め言葉が多くなるっていうか」

賢木に告げられていく事実は、今まで知らなかった数々の失態を賢木自身に知らしめていく。

一方、彼女は軟派な表情を剥がされ、素の顔が出まくりな賢木を『どうしようもない坊やね』と少し呆れ顔で眺めていた。

結構、バベル内では周知の事実なので、賢木に靡く女性が局内では意外に少ないのはこういう背景によるのだ。

言わぬが花、とばかりに今までは優しい女性職員達から大目に見てもらっていたことを今びしっと突き付けられ、賢木は居心地が悪そうに身を竦めた。

「…スイマセン」

もう、これは謝るしか他に手はない。

百戦錬磨の女性達に適うなんて、今さらながらにちっとも全く思えやしない。

「別にいいんですよ。私もダンナが言ってくれない分、賢木先生から補充してた所あるし。持ちつ持たれつね」

ふふ、と少女のような笑みを浮かべる彼女にとってみれば、自分はまるで年端もいかない子供のようなものだろう。

言葉は丁寧で優しいけれど、悪戯に対して叱られている気分になる。

 

「あの…ホント、そんなあからさまでしたか?」

失礼ついでにもう一つ、とばかりに質問する賢木に彼女は人差し指を口元に当てた。

「私がばらしたって言わないでいてくれるなら、教えてあげる」

 

賢木先生は、「綺麗」、「可愛い」に関するボキャブラリーは山とあるのに、「好き」とか「愛してる」のボキャブラリーは貧困なんですよ。

普通、貧困だからこそ使うことによってここぞって時の切り札になるものなのに、賢木先生は効果的に使いもしないで、出来る限り言わずに済まそうとしてるから。

どうしようもなくなった時だけ、「しょうがねぇけど、仕方なく」って顔で言ってるからそれでダメ押しね。

「女の子を口説くのに、『好き』って言葉って重要なのにね。常識でしょ?」

「綺麗、可愛い」って何見たって結構簡単に言えちゃう言葉だから、口説かれててもイマイチ誠意がないっていうか。

 

彼女が教えてくれた事実は、羞恥とともに賢木の心の真実を真っ向から掴んでいて。

単なるジョークの合間にすら使えない言葉の重みを賢木は今更ながらに実感していた。

 

「皆本!」

彼女とのためになる会話を終えると、賢木は未だ書類を見ているふりをしながら自分の様子を窺っていた恋人の元へ駆け寄っていく。

そう、伝えるべき相手はちゃんと自分には居るから。

「!!」

いきなり息を切らして近づいてきた賢木にびっくりして、逃げを打つ体を引き寄せると。

賢木は、壁と壁の間に、皆本を追いつめる。

「皆本、伝えたいことがあるんだ」

「離せ!僕には何も言いたいことなんてない」

「聞いてくれ」

 

柔らかな布越しに触れ合う体温、耳元に掠める呼吸音。

賢木の腕の中で、身を強張らせる恋人を逃がさないとばかりに抱き締める。

 

今、伝えたい。どうしても、今この瞬間に。

自分の掛け値なしの想いを余すところなくこの大事な単語に注ぎ込んで。

 

「好きだ、皆本」

 

 終 わ り