夕暮れハンカチ





「ど〜も〜♪」

「……失礼する」




ドアを開けた瞬間、ありえない人物たちの姿が目の前に飛び込んできて、

僕はインターホンで姿を確認しなかったことを心底後悔していた。

賢木がもうじき来ると言ってたから、つい条件反射で開けてしまったけど。




何で、どうして、何の罠だ?!




力いっぱいドアを閉じようとする僕に、目の前の青年はにっこり笑いつつ

優雅に足をドアの隙間に滑り込ませた。

まるで悪徳訪問業者のようなやり方に、僕は眉をひそめる。

「こんなこと、していいと思ってるのか?!」

「やだなぁ、そんな怒んなくっても(笑)取って食おうって訳じゃないっスよ」

「信用してもらえる筈もないことくらい、お前も分かるだろう。別に危害を与えに来たわけじゃない」

だから、しばしの間協力してくれ。

「???」




いつものように敵意を見せることはない二人組。

僕たちバベルの目下のところ、一番頭の痛い存在であるパンドラの彼ら。

真木司郎と、藤浦葉が、そういうなり僕を引っ張り出したのは休日のある日のことだった。





一体、どこに連れていくつもりだろう。

まるで連行されているような不安な気持ちのまま、両隣の人物を交互に見やる。

もしもの時の為に、それなりの準備はさせてもらったけれど、

彼らに本気を出されたらそんな用心もどこまで通用するか。

(賢木も驚くだろうな)

今頃、家主の不在に呆然としているだろう恋人のことを思うと溜息も自然深くなる。

「皆本と二人きりでウチゴハン♪」と浮かれていた声が耳の奥に残っているので、

罪悪感もひとしおだ。断り切れなかった自分に自己嫌悪。



もしかしたら、パンドラのメンバーに連れ出されたことを透視して既に探索を開始しているかも。

(ああ、大事にならなきゃいいけど)

授業を受けているだろうチルドレンを巻き込んでの大捜索にだけは発展しないように、

僕はきりきり痛む胃の辺りを押さえつつ、たぶんあまり甲斐のない祈りを空へと向けた。



任務でどうしようもない時以外、出来る限り学校生活を満喫させてやりたいのは僕の願い。

僕が同世代の子供の中で学校生活を送れなかったから、その分の想いを乗せている部分も多々あるけれど。

だって、まだあの子達は庇護されるべき子供達だから、楽しいこと辛いことを学校の中でいっぱい経験させてやりたいのだ。

それなのに、自分が足を引っ張るなんて論外もいいところ。


恨みがましく視線を向ければ、パンドラのトップ、兵部京介の参謀である真木司郎が

「心配しなくても長く留めるつもりはない」と、救いの一言を僕に投げてくれる。

「そうそう、俺らだって別に好きで連れてきたわけじゃないっつーか」

「?どういうことだ?」

「文句はあのジイチャンに言ってね?」

屈託のない笑顔を向けるもう片方の彼、藤浦葉は僕の腕を軽く引く。

「今から、ホワイトデーのお返し買うのに付き合って欲しいだけだよ」






毎年毎年、贈られる親愛の情の籠ったバレンタインデーのチョコレート。

兵部京介はその贈り物のお返しに、頭を悩ませていた。

「ねぇ、今年は乾パンてどうだろう。任務中に遭難しかけた時に、非常食代わりに良くない?」

「…はぁ」

「いっそのこと、特大金平糖ってのは?ほら、あのイガイガの部分を皆で分け合うことによって絆が深まりそうだし」

「…………」

「ああ、それか、僕の顔の金太郎飴は?ほら、いつでもどこでも僕と一緒ってことでさ♪」

「…少佐、そんなことより次の作戦への指示を」



ああでもないこうでもない、と真木に様々な案をプレゼンしても、はっきり言って相手が悪すぎる。

「…俺にはそういうことは分かりかねますが」



そう、真木にとって女性が喜ぶようなプレゼントを考えるよりも、

いかにロスなく作戦を遂行させるかの方がよほど容易なことなのだ。

そんなことは小さい頃から彼を見ている兵部にだって分かっていることなのに、

毎年毎年こんな不毛なことにつき合わせている。



…真木しか相手がいないわけじゃなく、単純に真木の嫌がる顔が見たいという兵部の趣味なのだ。

根っからのサド気質である兵部は、上手いアイデアを言うことが出来ない真木が若干うろたえる姿を十分楽しんだあと、

ふと浮かんだ愉快な思いつきに口元を緩めた。




「なんだよ、ノリが悪いな。折角僕が皆への感謝の気持ちをどう返そうか四苦八苦してるっていうのに」



全然からっきし四苦八苦してないじゃないですか!!




喉元まで出かかった言葉を、真木はぐっと理性で堪えた。

「我慢我慢」は真木にとっての呪文の言葉だ。

念じていると、上司の理不尽な発言になんとか耐えうることが出来る。

今日もまたそれでやり過ごした彼に、兵部は、

「僕も仕事で忙しいから、今年は誰かにお返し買いに行くの任せても良いかな」

「?ええ、どうぞ」


世にも珍しい上司の発言に、「ようやく仕事モードになってくれるか」と真木が胸を撫で下ろしたその時。

兵部の端正な容貌が、笑み崩れるのを真木は確かに目撃した。

元から表情豊かな上司だが、そんな彼が心底愉快そうな笑みを浮かべるのは、真木にとっての危険信号。

大体八割がたロクでもないことを考えている時に、兵部の笑みは深くなるのだ。


「今、どうぞって言ったよな。なら、そーするから♪」

「少佐?で、誰にするんですか」

止せばいいのに、この場から逃げた方が良いと本能は告げているのに。

こんな時、兵部に絶対服従体質な自分がほんの少しだけ疎ましい。

「お前と葉で行ってきて()。適任だろ?」

だから、どこが適任だって言うんですか!!




心底詰め寄りたくなる衝動を、また例の呪文で乗り切って、「…はい」とまるでそれしか言葉を知らないかのように、

真木は小さく了承の意を示したのだった。





「で、何故僕なんですか」

ここは、街中のカフェテラス。

男三人で、テーブルを囲んでいる姿は周囲から目立ちまくりなのだが、理由を話してくれるまで協力する気は無いと

強硬に皆本が主張したための緊急措置だ。

コーヒーを啜りながら、未だ疑念の視線を隠さない皆本に、真木が重々しく口を開く。

「コイツと二人というのが問題なんだ」

「ひっでぇ!!真木さん、ジイチャンの目に狂いは無いぜ?」

「…と言ってますが」


そう、兵部が二人を指名したのなら、わざわざ組織外の自分を巻き込む理由なんて本来無い筈なのだ。

それなのに、どうして?

「問題大ありだ。コイツには前科がある」

「「前科?」」

真木の物騒な単語に、皆本と葉の声がシンクロする。

「ちょっと待て、なんでお前が驚くんだ。忘れたのか?去年のこと」

「え〜?去年〜?べっつに何も問題なんて無かったっしょ」

「あっただろう!!」

少し声を荒げた真木の声に無関係の周囲の客がびくりと反応する。

すっかりイタイ人扱いで見られる居心地の悪さをあえて無視しつつ、真木は声を平常時のトーンに戻した。



ああ、無神経なのは実は目の前のコイツなのに、どうしてこんな目に合わねばならないのか。



悶々と葛藤しつつ、その辺りの心理は皆本に悟らせないよう振る舞う。

今回の件が済んでしまえば、いつもの通り敵の間柄だ。

不必要に気取られるような行いは十分避けなければいけない。



「え〜?あったかなぁ…」

ぶちぶち文句を言う葉を放置しつつ、真木は皆本の方を向いた。

「コイツはホワイトデーのお返しに、アニマルキャンディーを配ったんだが」

「?別にいいじゃないですか」

それが何か?と不思議そうな皆本。

確かに、「単なる」キャンディーなら、間違いなく無難なセレクトだ。

しかし、ことはそう単純ではない。




「カエルキャンディーやら、カブトムシキャンディーやらが入った袋の中に、実物を仕込んで渡したんだ、コイツは」

嬉しそうに封を開けた瞬間、次々に上がった悲鳴の数々。

凄まじい去年の大惨事を思い出すだけで、心底げんなりする。

「コイツは、袋があいたら動物が目を覚ますように細工したものだから、

もらった当初はガサガサ動く物音すら無くてな。それで皆も油断した」

「油断って…」

ふつうは、ソンナモノ入ってるなんて誰が予想するというのだろう。

その場にいたわけじゃないから、想像しかできないが袋を開けた瞬間、飛び出す虫なんて…はっきり言って悪夢でしかない。

正直、仕込んだ神経を疑う。


「えー、絶対皆喜んでくれると思ったのに〜。ほら、意表を突くプレゼントって結構嬉しいモンじゃないの?」

しかも、贈った当人がまるきり罪の意識が無いというのも大問題だ。

その場をおさめなければいけなかった真木の苦労を思うと、皆本は乾いた笑いを浮かべるしか無い。

パンドラは常識の枠を飛び越えた人物が多いけれど、葉もなかなかエキセントリックだ。

奇抜すぎる上司と部下に挟まれた真木の苦労の深さもどうやら並大抵ではないようで。



「結局、あれから一週間コイツは女性陣との接触禁止になった。

特に澪はショックがひどかったみたいで、しばらく部屋から出なかったな」

「……別に、悪気、無かったんだけどな〜」

調子はずれな口笛を吹く葉に、真木はげんこつを食らわしつつ、それで、と切り出す。

「今年は、皆にちゃんとしたものを贈ってやりたいが、常識的な範囲内で、可愛らしく、

皆が喜んでくれそうなものを選ぶのに適任者がいなかった。

お前なら、小さい子供の扱いも慣れているし、澪のことも知っているから、失敗も少ないだろうと踏んだんだ」

「そうそう、外部の知恵借りるなってジイチャン言わなかったしさ」

そこまで言われて、こんな切ない話を聞かされて、断る道など皆本にはもはや存在しない。

「分かったよ、でも夕飯までには返してくれよ?」

苦笑しつつ、頷いた皆本に「…恩に着る」と真木は少しほっと息をついたのだった。




「キャンディーは…去年のことがあるからタブーとして…えーと、年齢層は?」

「そんなに広くはない。いうなれば十代から二十代くらいという所だろうな」

「だから、塩大福とか、ぬれ煎餅は却下ね♪」

「…心配しなくても、選ぶ候補には無いから」


ホワイトデーフェアで色とりどりのギフトが並ぶ街中の百貨店。

商戦逞しいデパ地下を歩く男性三人組。タイプの違う男前に一層色めきだつお菓子売り場の喧騒もなんのその。

三人は真剣にギフトを吟味していた。

可愛らしいパッケージのキャンディーや、チョコレート。

ふわふわと柔らかいイメージに包まれた店舗内で、色んなものを手に取る真木の眼は真剣そのものだ。


「やっぱ、僕が来なくてもよかったんじゃないですか?」

葉じゃなくても、真木が選べば滅多なことはないだろうに。

皆本がのほほんと言うと、真木は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「…俺は、無難なものしか選べないから面白味が無いらしい」

「それ、誰に言われたんですか?」

「少佐だ」

存外気にしているらしい真木の呟きに、皆本は少し首を傾げた。



(一体、兵部はどうしてそんなこと言ったんだ)

葉みたいなケースは論外中の論外だが、基本的にプレゼントは贈ってくれる気持ちが嬉しい筈だ。

贈る時に相手のことを思うその気持ちが、何よりのギフトだろうから。

無難とか無難じゃないとか、そんなことははっきり言って二の次だろう。


「いつ、そんなこと言われたんですか?」

ふと興味が湧いて、皆本は質問をする。

「まだ少佐の腰ほどの背丈の頃だな。救急セットを贈ったことがある。

自分を救ってくれた少佐に出来ることなどまだ何も無かった時だったから」

(…なるほど)

想いの詰まった、救急セット。

無理はしないでほしい、という想い。




兵部にはその気持ちがこそばゆく、つい悪態をついてしまったのだろう。

守るべき存在に心配されている、そんなカッコ悪さで。




(兵部も素直じゃないな)

いつも、裏ばかりかかれている彼の、目にすることのなかった秘話を耳にして。

皆本は、少しだけ知ってしまった兵部の真実に頬を少し綻ばせた。

…なんだかちょっと、いやかなり面白いかも。



「そこのお二人さん!何のほほ〜んとしてるんスか!」

思わず和んでしまった雰囲気を掻き乱すのは、やっぱり葉で。

彼の声に、二人は当初の目的を少し外に追いやっていたことに気づいたのだった。




 結局、無難な所でクッキーのセット。

ただし、超有名パティシエの限定品を買い占めることに成功した三人は人でごった返す百貨店を後にした。

チルドレン用にちゃんとお返しは用意してあった皆本だったが、

いくつあっても困ることは無いだろうと、デパ地下でフィナンシェを買い。

それから、待たせている賢木にお詫びの意味を込めてザッハトルテを1ピース。

すべての買い物を終えると、外はすっかり夕日に染まっていて。

「ああ、なんとか夕食までには戻れそうだな」

良かった、とほっと安堵の息をつく皆本に、

「協力感謝する」

「そうそう、カンシャっすよ〜」

と、殊勝な二人の声に皆本は、首を振った。

「最初は、どうなることかと思ったけど、無事に済んで良かったんで、別に」

気にしないで下さい。

とにっこり笑いかけると、二人は息を飲んだように静かになる。

「???」

「………」

「や、ちょっとその笑顔ってヤバいんじゃ…」

何故かいきなり内緒話を始める二人に、皆本は眉を寄せた。

一体、どうしたというのかさっぱり理解不能だ。



「じゃあ、今日はこの辺で」

まぁ、仕事は果たしたし、とくるりと背を向ける皆本を真木が引きとめる。

「まだ、何か?」

「今日の礼を渡すのを忘れていた」

無骨な彼の手から手渡されたのは、小袋に入った柔らかい手触りの品物。

「…ハンカチ?」

「ああ、菓子というのでも良かったが、使える物の方が良いかと」

「や〜っぱ真木さん、味気ないモンしか選ばないっスね〜」

カラカラ笑う葉の言葉に、真木は、

「ああ、性分だからな。使えないものばかり選ぶお前よりはマシだと思うことにする」

「うん、確かに」

その言葉に皆本も同調する。一人、仲間外れにされた葉はというと拗ねたように口を尖らせて。

「ひっで〜!!んじゃ、俺からは…」



あ、目閉じて、手の平出して。

彼の言葉に、今もらったものをポケットにしまい、手荷物を手ごろなベンチに置いて皆本はその指示に素直に従う。




「俺からは、これと…」

手に乗せられる包装紙の質感、そして少し柔らかくて、温かい感触。



え、柔らかい?




「葉!!!!」

真木の焦ったような声に、思わず皆本はパチリと目を開けた。

一体、今の感触は何なのだろう。



「今のは…」

「気にするな、気にしてもいいことなんてないぞ。全く最後の最後に…!!」

「え〜、ついさぁ、大丈夫ダイジョウブ。ちゃんと口にしたわけじゃ…っ、むごっ!!」

それ以上火種はまくなとばかりに、強制的に口元を押さえられる葉。

真木は、本日何度目かの大きな溜息を盛大についている。



「最後まで騒々しいな」

「そうですね」

こんな他愛ない会話。

けれど、もう多分することが無いだろう会話。

次に会う時には、互いに刃を交えるそんな殺伐とした関係で。

必要以上に慣れ合ってはいけないことをお互いよく分かっているから、「じゃあまたね」なんて台詞は使わない。



「今日は世話になった」

「じゃっ、バイバイ〜♪」

そういうなり、姿を消した二人の姿を見送って。

皆本は、賢木の待つ自分のマンションへと小走りに駆けていく。

そう、何となく寂しいななんて思ったのは錯覚。

早く消してしまわないととんでもないことになるから。

皆本の感情を一色に埋めてくれる人の元へ。

必要以上に急ぐ皆本のズボンのポケットで先ほどの名残がごそごそ音を立てるのだった。






終わり